明けない夜があっても良い

きのこ帝国が2019年5月27日をもって活動休止することになった。

 

今まで数多のバンドの活休や解散を目撃してきたけど、自分には縁遠いものだと思い込んでいた。

活休しても、今の時代いつでもその音楽を聴くことは出来るし、傍に置ける。

でも、いざ自分の身にふりかかると身勝手だけど、その辛さを痛感した。

永遠などないとは頭で分かっていても、こうして現実として突き付けられると、明日からが真っ白になるし何も手が付かなくなりそうだ。

きのこ帝国は私の希望であり、闇でもあった。

 

きのこ帝国から様々なことを学んできたけど、活休するにあたり、またひとつ学んだことがある。

それは本気で好きで好きで好きなバンドがひとつの節目を迎えた時、自然と涙が止まらないという事だ。

事実、活休の知らせを目にしたとき、帰りの電車の中だったが、ぼろぼろと涙が溢れて止まらなかった。降車後も帰り道わんわんと泣いた。道行く人にどう見られようと構わなかった。

だって、本気で好きなバンドが活動休止してしまうから。

 

私がきのこ帝国を知ったのは丁度ファーストアルバム「eureka」が発売された頃で、某音楽雑誌に特集が組まれているのを読んだのがきっかけだ。

 

声質も、見た目も女性なのか男性なのか分からない中性的なフロントマンから吐き出される、感情に、歌詞に、圧倒され、刺さり、暗闇よりも更に暗いものを感じて取れた。

 

「あいつをどうやって殺してやろうか」なんて歌詞はこんな事を歌えるんだ、歌って良いんだなんて、衝撃的で好きというより、何だかもう自分の中での最後の砦みたいなものになった。

 

思えば、きのこ帝国を観る時は殆ど、雨だった気がする。雨がより一層きのこ帝国の良さを引き立ててくれてる気がした。世界一雨が似合うバンドだ。

 

 

『音楽を聴いているときも映画をみているときも 幸せ なのは、その一時だけだから幸せは継続的でないと意味を成さない。』

 

なんて持論を持っているけど、

私は確かに、救われない夜にきのこ帝国を聴いて救われた夜が何度も、何度もあった。

許されたい為にきのこ帝国を聴いて許された気になった夜があった。

大好きな人と首都高をドライブしながらきのこ帝国を聴いて明かした夜があった。

気心知れた学友達とお酒を呑みながらきのこ帝国を聴いて明かした夜もあった。

「夜が明けたら」を夜通し聴いて、無理やり夜を明かした日もあった。

明けない夜があっても良いんだって思えた夜があった。

 

いつも傍にはきのこ帝国があって、

きのこ帝国はもう私にとって自分の一部となっていた。

 

活動休止することは、何となく、いや確かに感じ取っていた。これは皆もそうだと思う。

それでも見て見ぬふり、気付かぬふりをして呑気に「きのこ帝国ライブしてくれ〜」なんて呟いていた。

 

 

───‘‘シゲの代わりになるベーシストなんて居ない’’、という結論に至りました。なので、この4人のまま、きのこ帝国の時間を止めたいと思います。(佐藤千亜妃)

 

 

 

きのこ帝国の時間が止まっても、メンバーも私たちの時間も嫌でも止まらない。生活も続いていく。

朝も昼も夜も明日も明後日も一週間後も一ヶ月後も一年後も止まらずに必ずやってくる。

 

「この4人のまま、きのこ帝国の時間を止めたいと思います」

最後にこんな歌詞みたいな綺麗な言葉を残すなんて、粋だなあ。なんて思ったり。

 

好きなことを増やして自分の砦を頑丈にしていたつもりでいたけど、ひとつが破綻したら駄目だった。思いやりが強ければ強いほど脆くて儚い。

僕達はいつも叶わないものから順番に愛してしまうを本物にしてしまった。

心のどこかでまだ少し信じてたし、愛おしい幻このままどこまで行くしかないのか

 

あー。明日のことなんか気にしないで、きのこ帝国を聴いてた夜もあったのに、明日のことを気にしながらきのこ帝国を聴いてしまう夜が遂に来てしまった。

 

まだこの現実を、事実を、しっかり受け止めきれない自分がいる。数日は心ここに在らずだろうけど、徐々にきのこ帝国の時間が止まった世界に慣れていこうと思うよ。

 

きのこ帝国はある種、夜が明けたんだ。

それでも今は、明けない夜がずっと続けば良かったなんて思ってしまうよ。

 

この先も「きのこ帝国」を私の傍に。

明けない夜があっても良いんだって。

 

 

いつかまた会いましょう

どこかで息をしている